Last Updated on 2025年2月4日 by 成田滋
17世紀から18世紀にかけてのアメリカの知的文化の発展は、ヨーロッパ諸国のそれと劣ることはありませんでしたが、明らかに異なる特徴もありました。野蛮な方法で土地を収奪するという問題に直面はしましたが、アメリカ人を最も興奮させたのは科学の応用技術でした。科学によって周囲の現象を説明し、それによって現象を利用する方法を見つけていきました。この科学的思考は市民社会の問題を解決することができますが、植民地時代のアメリカでは、多くの場合、政治や哲学においてではなく科学技術の応用に重点がおかれてきました。
アメリカが生んだ科学の天才は、ペンシルベニア州のジョン・バートラム(John Bartram)でした。彼は、新大陸で重要な植物データを収集し分類します。 1744年に設立されたアメリカ人文科学協会(American Philosophical Society)は、アメリカの優れた学術団体として知られていました。アメリカで最初のプラネタリウムを建設した天文学者はデビッド・リッテンハウス(David Rittenhouse)でした。ニューヨーク州副知事のカドウォールーダー・コールデン(Cadwallader Colden)は、植物学者および人類学者としての業績が、おそらく政治家としての業績を上回っていたといわれます。
社会改革の多くの分野のパイオニアであり、植民地時代のアメリカの物理学者の第一人者の一人であるベンジャミン・ラッシュ(Benjamin Rush)は、人文科学協会の有力な会員の1人でした。人文科学協会の創設者の一人にベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)がいました。彼は、電気の流れに関する実験で主要な理論的進歩を発表した数少ない科学者の一人となりました。他に熱効率のよいストーブの製造とか避雷針の開発などの応用研究でも知られています。
アメリカ独立宣言の起草委員の一人であったベンジャミン・フランクリンの名言はいろいろあります。「どんな愚かな者でも他人の短所を指摘できる。そして、たいていの愚かな者がそれをやりたがる」、「時間を浪費するな、人生は時間の積み重ねなのだから」、「 知識への投資がいつの世でも最高の利子を生む」、「友人はゆっくり選べ、変えるにはさらにゆっくりとやれ」、「生きるために食べろ、食べるために生きるな」、「財布が軽けりゃ、心は重い」 次の言葉は含蓄があります。「もし財布の中身を頭につぎこんだら、誰も盗むことはできない。知識への投資がいつの世でも最高の利子を生む」という名言です。
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ベンジャミン・フランクリンは十三の徳目というものをまとめています。「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」を思いついたから言われます。
中学生のとき習ったことに、避雷針を発明したのはフランクリンだったということです。雷が電気であることに気がついたようです。やがて建物に避雷針をつけると被害が免れたことを科学者が認めていくのです。